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リハをしているユートリアは節電のため、暫くは5時半で終了。
しかし、現在予約が入っている団体に限り、お部屋を9時までは使わせてくれるとのこと。
真っ暗な巨大コンクリートのかたまりの1室に灯りを点しての、リハとなりました。
メンバーはほとんどお休みもなく、久しぶりに大勢の団員揃い組みでの厚い演奏にうれしくなる。
こういう時だからこそ!って接続の悪い電車を乗り継いで集まってくれたことに感謝。
どこもかしこもLIVEもリハも中止続きで、うららも無かったら気が滅入っていたよって誰かが言って、そうだよねーと思った。
福島原発の事故は衝撃的で、今でも多くの現場の方々が命をかけて処理にあたっています。
今までは電力と共に日本が発展をしてきたこと、その恩恵にあやかってきたことを思うと、むやみにほれ見たことか!って責める気持ちにはなれなせん。
ましてやこの事故に責任をとるべく、命をかけて戦っている方々の精神を思うと、起こってしまったことをやじる気持ちにもなれません。
もしも私の身内が関係者で、この現場に入らなければならないとしたら、私は卑怯者と言われてもいいから行かないでって言うでしょう。
そんな卑怯者の私は、ただ黙って、現場を信じるしかないのだと思ってます。
後、1・2週間の辛抱なのか・・・?早く現場が落ち着くことだけをせつに願います。
そしてもうこうなってしまった以上、原子力発電の再開は無理でしょう。
福島の原発にほとんどを頼っていた関東圏は、次世代エネルギー模索の間、常に電力不足に悩まされていくことになるのかな?
1年になるのか、2年になるのか・・・
もうこの状態に慣れていくしかないんだよね。
文句を言っても、どうにかなるものでもないんだから。
病院も、企業も、工場も、デパートも、レジャー施設も・・・慣れていくしかないんだよね。
長く続くであろう電力不足には、極端になるのではなくて、折り合いを探していかないと。
細々とでも営業を続けていかないと、共倒れになってしまう。
そして自営業ではない家庭こそ、節電を頑張らねば!とも思う。
家庭の電力を他にまわしていかないと!そのうちお父さんが失業しちゃうよ 笑
今にも張り裂けそうなくらいに、丸々と。
あと2週間もすれば、桜もさく頃になるのかな?
光の射す方を、真っ直ぐに、的確に、指差してくれたから不安がなくなった。
自分でまるで判断ができない時は、信じてる人の言葉を、私は信じる。
人を見る目だけはあるのだよ。そう、思ってるんだ。
様子を見に来てくれたのは、きっと優しさからで、ひさしぶりに心から楽しく笑えたよ。
最近とても気が張り詰めていたから。
ふわふわ、ゆるゆる、だるだる~っ、えーんっって、酔わせてくれてありがとう。
優しくしてくれて、楽しくさせてくれて、ありがとう。
私はこれからも、カツカツと真っ直ぐ前を向いて、元気に笑顔で歩いて行くので、よろしくね!
私は未だに余震が恐い。とても恐い。だけどもう、恐いというのを止めました 笑
「言霊」ってあると思うのです。
恐い、不安だ、辛い、悲しい、そんなことばっかり言っていると、どんどん負のスパイラルに引きづられていって、抜け出せなくなるように思うのです。
時に言葉は魂をもって、ひとり歩きし始めるから油断がならない。
発した言葉の方向に精神が引きづられていく感じ。
なので気をつけて、止めようと思うのです。
私は綺麗になりたい。美しくなりたい。
なので綺麗で美しいものを見つめてゆくことに決めました。
そして優しくなりたい。穏やかでいたい。
なので優しく穏やかなものに触れてゆくことに決めました。
誇りまみれのコートは脱いで。
菜の花の蕾が開くような幸せを、窓先の小鳥が歌うような喜びを、やがて訪れる春風に乗せて。
さわさわと音を立てながら、裸足で駆け抜けるような、ピュアな若葉を揺らして。
透き通るような水色の空と、みずみずしく薫る空気に、精一杯の深呼吸をして。
そんな風に過ごしてゆきたいと思ってます。
TVの映像に映る、がれきの山になってしまった東北を見ているにつれて、私の記憶の3分の一が、記憶の奥深くに存在する私という人間が、亡くなってしまったように思えた。
東北の穏やかな空気を想う時、のどかな田園風景を想う時、親戚が集まって食卓を囲む夏休みを想う時、そこにいる私はまだ幼くて、いっぱいの優しさと愛に包まれている。
久しぶりに故郷に帰って来た娘である母と、孫である私と妹を、祖母はとても可愛がってくれた。
もともと7人兄弟の末っ子の母は、お見合い結婚を嫌がって、結婚式3日前に家出してひとりで東京に出てきたこともあり、みんなにとってはいつも心配の種で仕方なく、そんな心配な母に育てられてる私達を不憫に思っていたのだと思う。
当時はまだ東北新幹線も一関までは通じてなくて、仙台辺りで降りて在来線に乗り換えていたように思う。
遠い記憶なので曖昧だけど。
そうやって、長い旅路の向こうにある東北の夏は素晴らしく、冬は厳しかった。
その上、山の中だったので特にそうなのかもしれないけど、日本昔話そのままの風景で、たまにキツネやタヌキの妖怪が出た。見たことはないけど、祖父母が化かされたことがあると言って私を恐がらせた。
深い闇が続く夜は、それはそれは恐かったことを思い出す。
そんな遠い思い出しかない私でさえそうなのだから、東北で暮らしている方々、実家が東北の方々などの喪失感は、相当なものなのだろうと思う。
先日やっと電話が通じるようになって母が実家の叔父と話したところ
「こっちはみんな大丈夫だから心配するな、そういえば東京はお米がないみたいだけど送ってあげようか?」
と言われたそうだ。
現在は自分の家で食べる分くらいの無農薬の農業しかやっていないのだけど、備蓄がかなりあるらしい。
といっても、つい先日まで避難所生活を強いられてきたことを思うと、被災状況が他の地区よりもまだましだったって程度なんだろうけど。
何かしてあげられることはないのかな?って思うけど大丈夫だ、心配するなという。
「そして5月になったらまた早苗もすくすく育つよ、」って。
私はそれを聞いて涙が止まらなかった。
なんだかなぁーと思う。
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生意気にもR&B・JAZZ系のアドリブ音楽の世界に足をツッコンでみる。
しかし~音の世界とはそう甘くは無いことに最近気づきはじめ(って遅い?)ふらふら眩暈に襲われる毎日で。
そんなひよっ子の私を支えてくれてる音仲間集団「R&BCLUB 」との日々を日記にして行きたいと思います。