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TVの映像に映る、がれきの山になってしまった東北を見ているにつれて、私の記憶の3分の一が、記憶の奥深くに存在する私という人間が、亡くなってしまったように思えた。
東北の穏やかな空気を想う時、のどかな田園風景を想う時、親戚が集まって食卓を囲む夏休みを想う時、そこにいる私はまだ幼くて、いっぱいの優しさと愛に包まれている。
久しぶりに故郷に帰って来た娘である母と、孫である私と妹を、祖母はとても可愛がってくれた。
もともと7人兄弟の末っ子の母は、お見合い結婚を嫌がって、結婚式3日前に家出してひとりで東京に出てきたこともあり、みんなにとってはいつも心配の種で仕方なく、そんな心配な母に育てられてる私達を不憫に思っていたのだと思う。
当時はまだ東北新幹線も一関までは通じてなくて、仙台辺りで降りて在来線に乗り換えていたように思う。
遠い記憶なので曖昧だけど。
そうやって、長い旅路の向こうにある東北の夏は素晴らしく、冬は厳しかった。
その上、山の中だったので特にそうなのかもしれないけど、日本昔話そのままの風景で、たまにキツネやタヌキの妖怪が出た。見たことはないけど、祖父母が化かされたことがあると言って私を恐がらせた。
深い闇が続く夜は、それはそれは恐かったことを思い出す。
そんな遠い思い出しかない私でさえそうなのだから、東北で暮らしている方々、実家が東北の方々などの喪失感は、相当なものなのだろうと思う。
先日やっと電話が通じるようになって母が実家の叔父と話したところ
「こっちはみんな大丈夫だから心配するな、そういえば東京はお米がないみたいだけど送ってあげようか?」
と言われたそうだ。
現在は自分の家で食べる分くらいの無農薬の農業しかやっていないのだけど、備蓄がかなりあるらしい。
といっても、つい先日まで避難所生活を強いられてきたことを思うと、被災状況が他の地区よりもまだましだったって程度なんだろうけど。
何かしてあげられることはないのかな?って思うけど大丈夫だ、心配するなという。
「そして5月になったらまた早苗もすくすく育つよ、」って。
私はそれを聞いて涙が止まらなかった。
なんだかなぁーと思う。
本当にそうですね。被災地ではない東京から、はやく日常を取り戻していかないと!ですね。
被災地が前向きに生きようと一生懸命なのに、被災してない私達はもっと、もっと、前向きで元気じゃなくちゃ!それが私にできることなんですよね。
電話して励ましてあげなよーっなんていってると、うっかりこっちが励まされるのでビックリします。
いつも、いつも、心配される側だったので、なかなか心配する側にはまわれないみたいです笑
はーい!元気で笑って過ごして行きます♪
ほんとに無事で何よりでした。
今回の災害はあまりにも被害が大きすぎます。
相当な時間は掛かると思いますが、日本が一丸となって被災地を支援していきましょう!
仙台支援部隊第一陣、お疲れ様でした。
お疲れ様って言葉じゃ軽すぎるね><
実は仙台にも従兄弟の家族が2組ほどいます。
ずーっと安否がわからず、名取だったので半分諦めていたのですが・・・叔父の方には全員無事との連絡が入っていたようで安心しているところです。
とっしーさんもご家族がご無事で本当に良かったです。
これから長期戦になるかと思いますが、そして私に何ができるのか未だにわからないけれど、被災地への思いを忘れずに、希望を持って見守って行きたいと思います。
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生意気にもR&B・JAZZ系のアドリブ音楽の世界に足をツッコンでみる。
しかし~音の世界とはそう甘くは無いことに最近気づきはじめ(って遅い?)ふらふら眩暈に襲われる毎日で。
そんなひよっ子の私を支えてくれてる音仲間集団「R&BCLUB 」との日々を日記にして行きたいと思います。